四十歳の直美と四十三歳の康は、マンションの清掃当番で初めて組んだ。
それまでは、同じ家に住む恋人同士だった。地域の人には、別々の名字の二人として知られていた。郵便受けには小さな活字で二つの名が並んでいる。入居するとき管理人に尋ねられ、二人とも届く郵便があるので、と説明したきりだった。
一緒に暮らして三年、家事は大体分けていた。康は洗濯と夕食の皿洗い、直美は料理と水回りの掃除。どちらかの残業が続けば、もう片方が補った。大きな不満はない、と二人とも人には話していた。
清掃当番は午前九時からだった。直美が玄関で日焼け止めを塗っていると、康が先に靴を履き、早くしないと、と言った。まだ八時五十分だった。
「集まるの、下でしょう」
「道具を出す時間もあるから」
正しい説明の語尾に、いつも遅いという意味まで聞き取ってしまった。直美は蓋を強く閉めた。康はその音を聞き、何も言わず玄関の扉を開けた。
二人が担当したのは、駐輪場から植え込みまでの細い通路だった。管理人から名札を受け取り、胸につける。直美は自分の名字の下に部屋番号が書かれているのを見た。康の名札にも、同じ番号があった。
康はほうきを速く動かし、乾いた葉を大きな山へ集めた。直美は植え込みの中をのぞき、菓子の包みやレシートを一つずつ取った。低い枝に袖が引っかかり、しゃがみ直す。
「丁寧すぎない?」
康が言った。
「あなたが雑なのよ。上だけ掃いても残るでしょう」
「全部取ってたら、終わらないよ」
声が予想より響き、直美は周囲を見た。幸い近くには誰もいなかった。康はほうきを止めていた。
二人の仕事ぶりを見るのは初めてだった。会社でどう働いているか、話としては聞いている。康は倉庫の出荷管理をしていて、直美は小さな医院の受付だった。自分の仕事の話をするとき、二人とも困る相手のことばかり話し、どう働いているかを見せることはなかった。
康が腕時計を見た。その動きを直美は、遅いと責められているように受け取った。彼は、九時半にごみ収集車が来るから、それまでに袋を閉じたいだけだったらしい。それを知るのは、ずっと後だった。
隣の棟の住民が二人、袋を持ってきた。康は急に声を明るくして、おはようございます、と挨拶した。直美も笑顔になり、ここは段差があるので気をつけてください、と伝えた。
年配の女性が腰をかばうようにしゃがもうとすると、康は袋を持つだけで十分ですと止めた。その言い方は柔らかく、相手に仕事がないと思わせないよう、紙の袋を一つ渡していた。
直美はその様子を見て、家でもそんなふうに言ってくれればいいのにと思った。それから、自分もさっき康には、あなたが雑、と言ったことを思い出した。
女性は植え込みに落ちていた小さな札を見つけた。春に植えた花の名前だという。誰が植えたのか知らなかった直美に、三階の男性が世話をしていると教えた。
「葉っぱは取っていいけど、この根元はあまり掘らないでね」
直美は謝り、手を止めた。丁寧にやっているつもりで、花の根まで傷つけそうになっていた。
康がちり取りを持って近づいた。どこまで取ればよいかを女性に尋ね、指示されたところへ移った。人に聞くのが下手な人だと思っていたが、そうではなかった。直美に聞くと、まだ分からないの、と言われる気がしていたのかもしれない。
九時半、集めた袋を運び終えた。康は清掃前より汚れた靴を見て笑った。直美も袖口に土がついていた。二人はほとんど話さず、部屋へ戻った。
洗面所で軍手を洗いながら、直美が先に笑った。
「さっき、外の声だった」
「そっちも」
康が答えた。その声にとげがなく、直美は助かったと思った。
「私、あんなに感じよく話せるんだね」
「医院では、いつもそうなんじゃない?」
「たぶん。でも家に帰ると、使い切った気になってた」
康は軍手の指を一本ずつ絞った。仕事中、彼も相手によって説明の仕方を変えているという。急いでいても、最初に理由を言わないと作業が止まる。そのことは分かっているのに、家では、もう分かっているだろうと思ってしまう。
「今朝、九時半に収集車が来るって知ってた?」
「知らなかった」
康は顔を上げた。掲示板に書いてあるから、直美も見たと思っていたのだ。
「時計ばかり見て、遅いって思ってるのかと」
「言えばよかったね」
直美も、植え込みのごみを放っておくと、風でまた通路に出てくるから取っていたと話した。康はうなずき、それなら先に中を取って、最後に掃けばよかったと言った。
「あなたが雑、は余計だった」
直美が言うと、康は、丁寧すぎる、も同じだと答えた。相手のやり方の理由を聞く代わりに、人の性質を決めてしまっていた。
軍手を干したあと、二人で靴の泥を落とした。廊下へ出していたバケツを康が持ち、直美がブラシを使った。さっきより静かな共同作業だった。
その夜、夕食の皿を康が洗っていると、直美は鍋の裏に汚れが残っているのを見つけた。いつもなら、ここ残ってる、と言って自分で洗い直す。
今日は一度、息を吸った。
「鍋の底もお願いできる? 焦げが残ってる」
康は鍋を裏返し、うん、と答えた。それだけだった。何か大切な話をしたつもりの直美には、拍子抜けするほど普通の返事だった。
だが数日後、康が洗濯物を畳みながら、直美の脱いだシャツの袖が裏返っていたと言ったとき、直美はつい、そんなことくらい直せるでしょう、と返した。
康の手が止まった。
直美はすぐ謝ったが、謝ったから元に戻るわけではなかった。康は無言で畳み終え、別の部屋へ行った。直美も後を追わず、夕食を温めた。
食卓で、康が先に話した。
「直せないわけじゃないよ。ただ、毎回だと、俺がやるからいいと思われてる気がする」
「そういうつもりはなかった」
言いかけて、直美はやめた。つもりがなかったことと、彼がそう感じたことは、別に考えられる。
「次から脱ぐときに直す。忘れてたら言って」
「毎回注意する係にはなりたくない」
康は穏やかに続けた。直美は、自分も台所で同じことを思うと答えた。二人はその夜、相手の失敗を数える代わりに、自分が繰り返している小さな手間を一つずつ話した。
全部をなくすことはできない。仕事で疲れた日には、どちらも余裕がなくなる。ただ、疲れているから雑に扱ってよい相手が、家にいるわけではなかった。
翌朝、直美は出勤前にシャツの袖を直した。そうしたところで、昨夜の気まずさが帳消しになるわけではない。だが、覚えていることを言葉だけで示すより、布を一度ひっくり返すほうが確かだった。
康はその場にいなかった。気づいてほしいと思った自分に、直美は苦笑した。二人の生活を楽にするためのことが、いつの間にか相手に採点してもらう行為になってしまう。
夜、康は洗った鍋を伏せる前に、底を確かめていた。直美が見ていると気づくと、何、と尋ねた。彼女は首を振り、明日の仕事の話を始めた。
医院では新しい受付システムが入り、慣れるまで時間がかかっている。直美は、自分が教える側なのに一番よく間違えると話した。康は意外そうに聞き、倉庫でも新しい機械を入れたときはそうだったと答えた。
失敗を持ち帰っても笑われない家にしたい、と直美は思った。そのためには、自分も相手の失敗を、性格の欠点へすぐ結びつけないようにしなければならない。康が食器を拭く横で、彼女は明日の弁当箱を二つ出した。
翌週、管理人から次の清掃日も同じ担当でよいかと聞かれた。欠席する住民がいて、組み合わせを調整しているという。直美が康を見ると、彼は予定表を確かめてから、できます、と答えた。
家に帰り、康は清掃の手順を紙に書こうとした。直美は少し笑ったが、彼が真面目な顔をしているので、隣に座った。
「仕事みたいにしすぎかな」
「紙一枚くらい、いいんじゃない」
植え込み、通路、袋の運搬。三つだけ書いて、順番を決めた。どこまで終わらせるかも先に確認する。細かな役割を決めたら、相手の動きを監視する必要が減った。
次の当番の日は、前夜の雨で葉が濡れていた。康が植え込みの袋を持ち、直美が落ち葉を集めた。湿った葉はほうきに張りつき、前より時間がかかった。
康は直美の手からほうきを取ろうとして、止めた。
「ちり取り、こっちへ寄せようか」
「うん。そこをお願い」
直美は返事をした。相手の仕事を取り上げず、助け方を尋ねる。その一言だけで、作業はずいぶん楽になった。
途中、直美が花の根元に残ったごみを見つけた。康へ袋を向けてもらい、一つずつ取った。康は急かさず、その間に水たまりへ落ちた葉をすくった。直美も時計を見て、今日はここまでにしようと自分で区切った。
作業の終わりに、管理人から、いい組ですねと言われた。名札は別々のままだった。二人は目を合わせ、少しだけ笑った。
関係を説明してもよかったが、説明しなくても、今朝一緒に働いたことは伝わっていた。直美は名札を返す前に、少し曲がった康の札を指で直した。
エレベーターには、まだ土の匂いが残った。康が昼は何を食べたいかと尋ねた。直美は台所に立つ元気がないと答えた。彼は、自分もない、と笑った。
近所の店で持ち帰りの弁当を買うことにした。いつもなら康に買いに行ってもらい、その間に直美が道具を洗う。今日は二人で靴をきれいにしてから、買いに行った。
家へ帰り、直美が先に、今日はありがとうと言った。
康も礼を返し、窓を開けた。家の中で使う声が、いつも外と同じである必要はない。甘えた声も、疲れた声もあってよかった。ただ、その声が届く相手を、知っているつもりで見なくなるのはやめたかった。
弁当の蓋を開けると、揚げ物の匂いが広がった。康が箸を一本落とし、直美は笑いながら新しいものを渡した。小さな失敗のたびに、どちらがちゃんとしているかを決めなくてもよい昼だった。
午後、乾いた軍手を取り込み、二人分を重ねた。サイズの違う手袋は一組にはならない。それぞれの指が入る形のまま、同じ引き出しに収まった。直美はその上に、次の清掃日の紙を置いた。