四十一歳の優奈は、既婚の同級生から会いたいと連絡を受けた。
信吾とは、春の同窓会で二十年ぶりに再会した。学生のころ、互いに好きだったことを、その夜になって知った。優奈が冗談のつもりで、当時は誘ってくれればよかったのにと言うと、信吾は本当に残念そうな顔をした。
その表情を、帰宅してからも思い出した。四十一歳の自分を見ている人が、二十歳の自分に間に合わなかった気持ちを、今も持っている。そんなふうに考えると、胸のどこかが若返る気がした。
彼の左手に指輪があることは、最初から分かっていた。子どもはいないと、友人たちとの会話で聞いた。優奈は一人で暮らし、数年前に長く付き合った人と別れていた。今すぐ誰かと暮らしたいとは思っていなかったが、特別な人のいない生活を、いつまでも自分で選び続けていると言い切れるほど強くもなかった。
最初の連絡は、同窓会の写真だった。次は、昔二人がよく聴いた曲が店で流れていたという話。そのうち、夜遅く、今日は疲れたと届くようになった。
優奈は、彼の話を聞くのが嫌ではなかった。仕事のこと、家で会話が続かないこと、週末も別々に過ごしていること。具体的な事情を聞くより先に、大変だねと返した。
返信をするとすぐ既読がついた。頼りにしていると書かれるたび、画面の前で少し姿勢が変わった。自分は誰かに必要とされている。その気持ちは、前の恋人と別れたあと、あまり味わっていなかった。
平日の昼は、自分の仕事を普通にした。出版社で見本の発送を手配し、在庫を確かめ、取引先へ電話をした。夜になると、信吾から連絡が来るか気になった。来ない日は、彼が家で落ち着いているのならよかったと思い、それと同時に寂しくなった。
その矛盾に気づくと、優奈は携帯を伏せた。彼の暮らしが穏やかであることを、心から喜べない自分がいた。
休日、友人の澄江と食事をした。優奈が同窓会後の話をすると、澄江は信吾が独身かと尋ねた。優奈は違うと答え、ただ話しているだけだと付け加えた。
「会うの?」
澄江はそれだけ聞いた。反対も賛成もしなかった。優奈は、まだ分からないと答えた。自分で分かっていないことを、友人に大丈夫だと言ってもらおうとしていたのだと、帰り道で気づいた。
会ったのは、川沿いの喫茶店だった。信吾は先に来ていて、窓際の席を取っていた。同窓会ではスーツだったが、その日は柔らかい色のシャツを着ていた。優奈は、休日の彼を見るのは初めてだと思った。
席へ近づくと、彼は立ち上がり、来てくれてありがとうと言った。その丁寧さに、優奈は少し照れた。お茶を飲むだけだと自分へ言い聞かせてきたのに、口紅を選ぶ時間がいつもより長かったことを思い出した。
最初は昔の話をした。よく行った食堂はもうなく、当時の教授は引退している。信吾は、優奈が学園祭で配ったチラシの色を覚えていた。彼女自身が忘れていたことだった。
「そんなに見てたんだ」
優奈が笑うと、彼は見てたよと答えた。若いころ聞きたかった言葉を、今の声で聞いた。それだけでうれしかった。
コーヒーが半分ほどになったころ、信吾が妻とのことを話し始めた。家に帰っても会話が続かず、互いに別の画面を見ている。旅行の予定も立たず、自分から誘うのをやめたという。
優奈は聞いた。好きだった人に頼られるうれしさが、自分の中にあることも分かっていた。だが、彼の話に出てくる妻は、いつも返事のない人だった。何を考え、何を望んでいるかは語られない。優奈は、その人を知らなかった。
「奥さんには、寂しいって言ったの」
優奈が聞くと、信吾は少し驚いた。
「言っても、仕事が忙しいんだから仕方ないって」
「そう返された?」
彼はすぐには答えなかった。どうせそう言われると思うから、あまり話さないという。優奈は、自分も前の恋人に、分かってくれないと決めて黙っていたことを思い出した。
彼を責めたいわけではなかった。夫婦の問題を、外から正しく言い直せるとも思わない。ただ、自分が聞いている話が、二人のうち一人の見たものだということを忘れたくなかった。
信吾は、優奈だと話しやすいと言った。昔からそうだった、と続けた。
「昔は、こんな話はしてないよ」
優奈は笑った。彼も笑ったが、そのあと、静かな間ができた。二十年の間に何があったかを、二人はほとんど知らない。好きだったという一つの事実だけで、今も特別に分かり合えると思いたかった。
優奈は自分の仕事の話をした。信吾は聞いてくれたが、やがて家へ帰りたくないという話へ戻った。彼女の前にいるのは、昔の同級生であり、今の暮らしに困っている人だった。その両方が同じ人であることを、もう曖昧にはできなかった。
店を出ると、川面に街の灯りが細く伸びていた。二人は橋へ向かって歩いた。風が冷たく、優奈は上着の前を合わせた。
信吾が手を伸ばした。彼女の袖に指が触れる直前、優奈は半歩後ろへ下がった。
「今は、触らないで」
自分の声は、思ったより静かだった。信吾は手を止めた。怒ったのかと聞かれ、彼女は首を振った。
「怒ってない。でも、今のまま近くなったら、私、きっと期待する」
彼は気持ちはあると言った。その声は嘘には聞こえなかった。だからこそ、優奈は簡単に笑って流せなかった。
「あるなら、今の生活を、私に隠す場所にしないで」
信吾は黙った。優奈は離婚を約束してほしいわけではなかった。期限を決めて、自分を選ばせたいのでもない。彼が妻とうまくいかないという話を聞くたび、心のどこかで安心する人にはなりたくなかった。
「会わないほうがいいってこと?」
彼が尋ねた。
「今みたいに、夜に話を聞いて、そのまま二人で会うのは、やめたい」
何もかもを永久に決める言葉ではなかった。けれど、自分がどうしたいかは伝えた。彼の気持ちが本物かを証明してもらうより、自分の行動を決めるほうが難しかった。
橋の上で別れた。信吾は送ると言ったが、優奈は一人で帰ると答えた。近くの駅は分かっている。今日の帰り道を彼に任せたら、決めたことをもう一度説明し直さなければならなくなる気がした。
川には月が映っていた。橋を渡る人の振動で、細かく崩れた。優奈は欄干へ手を置き、しばらく水を見た。月は崩れても、また同じ場所に光を作った。その様子を何かの答えにしたいと思い、やめた。今はただ、きれいだった。
家に帰ると、部屋が静かすぎた。出かける前に選んだ上着を椅子へ掛け、化粧を落とした。鏡の中の自分は、立派な選択をした人には見えなかった。会いたかった人に触れてもらえなかった、少し疲れた顔だった。
信吾から、今日はありがとうと連絡が来た。優奈も短く礼を返し、夜の相談にはもう応じられないと、改めて書いた。送信してから連絡先を消そうか迷ったが、消さなかった。消したかどうかより、次の連絡へどう答えるかが、自分で決めたことだった。
食器棚には、先月二つ買った新しいカップがあった。誰かを呼ぶ予定があったわけではないが、信吾が来たらこれを出すかもしれないと、一度考えていた。優奈は片方を奥へしまいかけ、二つとも手前へ戻した。
カップまで処分して決意の強さを示す必要はない。澄江が来れば使えるし、自分で気分を変えて選んでもいい。相手を待つために買ったと思い込んでいる物も、もともとは自分が気に入って選んだものだった。
翌朝、片方へお茶を淹れた。彼のために用意したかもしれない場所を、自分が使ってもいいのだと思った。
その夜はよく眠れなかった。朝起きても、寂しさは残っていた。正しいと思うことをしたら、すぐ気持ちも整うわけではない。優奈は熱いお茶を淹れ、仕事へ出かけた。
二週間ほどして、夜遅く長い話が届いた。家でまた気まずくなったという内容だった。優奈は途中まで読み、返信欄を開いた。いつものように、大変だったねと打とうとして手を止めた。
返事をしないことは、相手を罰するためではなかった。もう自分には聞けないと伝えた話へ、また戻らないためだった。彼がつらいことと、自分が引き受けられないことは、同時にあっていい。
携帯を台所へ置き、寝室へ戻った。画面が光るたびに見たくなるので、裏返した。何度かそれを繰り返すうちに、連絡を待つ時間が少しずつ減った。
澄江と会ったとき、優奈は橋でのことを話した。友人は、よかったねとは言わなかった。寂しいでしょう、と言った。優奈はうなずき、それで初めて少し泣いた。
二人は食事のあと、予定していなかった映画を見た。恋愛の話ではなく、海辺の小さな工場で働く人たちの話だった。優奈は途中で、信吾の連絡を一度も気にしていないことに気づいた。そのことを澄江には言わず、帰り道で映画の音楽の話をした。
優奈は、休日に行ってみたかった版画の講座へ申し込んだ。誰かと知り合うためではなく、手を動かして何かを作る時間が欲しかった。最初の作品は、川ではなく、家の窓から見える給水塔にした。
講師に、なぜこれを選んだのか聞かれ、毎朝見るからと答えた。毎朝見ていても、脚の本数は覚えていなかった。写真を撮り直し、線を引き直した。自分の知っているつもりのものにも、まだ確かめることがあった。
信吾とのやり取りは減った。彼がそのあと妻とどう話したかは知らない。知りたい夜もあったが、その続きを聞くことが、二人の関係を再開する理由になりそうで尋ねなかった。
ある日、昔聴いた曲が店で流れた。優奈はすぐ彼の顔を思い出した。好きだった気持ちがなくなったわけではない。その気持ちを持っている自分まで、なかったことにしなくてよかった。
数か月後、優奈は一人で同じ橋を渡った。月は見えなかった。版画の作品を入れた袋が、膝に軽く当たった。遠回りして帰ろうと思ったのは、川沿いに新しい店を見つけたからだった。
彼を思い出す場所に、これから自分の別の用事も増えていく。優奈は欄干から手を離し、駅とは違う方向へ歩き出した。好きだった気持ちだけを、行き先の標識にしなくてもよかった。