夜の余白YORU NO YOHAKU
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長めの短編 106 / ふたりの暮らし / 約9分

水曜日の空き部屋

五十五歳から始めた同居。空いた一室が、二人の距離を変えていく。

*

水曜日の朝に限って、祐一は予定を尋ねた。市立図書館で働く聡子の休みが、その日だからだった。五十五歳の彼女は、湯を沸かしながら、別に何も、と答えた。すると彼は、川沿いの新しい店まで自転車で行こうと言った。

同じ問答が三週続いた。四週目、聡子は湯呑みを洗っているふりをして返事をしなかった。

祐一は五十七歳で、内装の仕事を個人で請け負っていた。今月は現場の都合で水曜が休みになり、二人の休日が偶然重なっている。同居する前なら、その偶然を喜んでいた。彼の仕事が夕方までかかる日は、会えるのを待つだけで一日が終わったものだ。

金沢のこの家を借りて、九か月になる。聡子は単身者向けの小さな部屋を引き払い、祐一は仕事場に近い実家から移ってきた。二人で家を探し、駅からの距離より台所の広さを選んだ。

知り合ったのは二十五年前だった。地元の劇団で、聡子は受付、祐一は舞台の大道具を手伝っていた。一度つきあいかけ、彼女の転勤で遠ざかった。互いに別の人と結婚し、離婚した後、劇団の記念公演で再会した。

二十二年ぶりの食事は、驚くほど楽だった。誰かといても気を張らずに済むことを、聡子は幸福だと思った。今もその気持ちが嘘になったわけではない。けれど毎週の水曜日を二人分の幸福に整えると、自分一人なら過ごしたかった一日が、どこへ行くのかわからなくなった。

「じゃあ、今日はやめとこう」

洗い物を続ける背中へ、祐一が言った。

聡子は振り向いた。彼は上着を椅子へ戻し、納戸から掃除機を出していた。午後に一人で出かけるつもりだったが、家の中で掃除をする彼を置いていくのが薄情なことに思えた。

結局、二人で掃除をした。窓を拭き、絨毯を上げ、客間に積まれた引っ越し用の箱を開けた。九か月も使っていないものが、生活の一部の顔をして並んでいた。

聡子の箱には、前の家で使っていた小さな木の机の脚が入っていた。天板は壁に立てかけてある。組み立てる場所が決まらず、ダイニングテーブルで読書や繕い物をしてきた。

祐一の箱には山歩きの道具があった。一緒に行こうと言われて靴を買い、聡子はまだ一度しか履いていない。彼女が行きたくない日は、彼も登山をやめる。望んでいない犠牲を差し出されるたび、聡子には小さな借金が増える気がした。

「これ、次の休みに使う?」

靴を持って彼が尋ねた。

「祐一さん、一人で行くのは嫌なの」

「嫌じゃないよ。二人で行けたら、もっといいと思って」

彼は真面目にそう言った。聡子は、その答えを間違いにしたくなかった。

昼過ぎ、一人でスーパーへ行くと言って家を出た。川沿いまで歩き、ベンチに座った。見知らぬ犬が彼女の靴先の匂いを嗅いだ。誰に説明する必要もなく座っていると、久しぶりに時間の底が見えるようだった。

帰りに惣菜を買った。二人分を選ぶ時、祐一が好きなものを先に手に取る自分に気づいた。最後に自分の好きな、酢の強い蓮根を一つ足した。

翌週、祐一は仕事で使う棚を自宅で組み立てた。客間の畳に板を並べ、道具を置く。聡子が読みかけの本を取りに入ると、彼は邪魔になるね、とすぐ片づけようとした。

「いいの。あなたの家でもあるんだから」

そう言った途端、自分の言葉の中に不満が混じっているのがわかった。二人の家、という言い方がいつの間にか、どちらも好きなようには使えない家になっていた。

夕飯のあと、聡子は小さな机のことを話した。客間を自分の部屋として使いたい。週に一度、何の予定も立てずに扉を閉めたい。

祐一は聞き終わると、しばらく黙った。

「一緒にいるのがしんどいなら、言ってくれてよかったのに」

「ずっとしんどいんじゃない。しんどくなる前に、一人でいたい時がある」

「俺には、その前っていうのがわからない」

彼は声を荒らげなかった。その静けさのほうが、聡子には答えにくかった。前の結婚でも、こんな会話をしたのだろうか。二人とも、自分が離婚の理由だと思う部分だけを相手に話し、相手から見た自分については、十分に知らない。

聡子は寝室を別にしたいわけではなかった。けれどそう言うと、彼の不安を早く取り除くための約束になりそうだった。今すぐ全部は決められない、と伝えた。

その夜、祐一は先に寝た。彼の背中に触れようとして、聡子は手を止めた。彼も一人になる時間が欲しいかもしれない。自分の寂しさに今すぐ答えてもらえない夜を、彼女も引き受けなければならなかった。

次の朝、台所に弁当箱が一つ残っていた。祐一は自分の分だけ詰めて出たらしい。いつも作ってくれていたのが二人分だったと、聡子はそこで改めて知った。ありがたさと息苦しさは、同じものの表と裏とは限らず、どちらもそれぞれ本当だった。

部屋の片づけは、すんなりとは進まなかった。客用の布団を押し入れへ移すには、祐一の道具を減らす必要があった。仕事に使うものだから捨てられない、と彼は言い、聡子は、それなら私の本は捨てていいの、と言い返した。

口にした後で、そんなことは言われていないとわかった。けれど言葉はもう部屋にあった。二人はその日、片づけを中断した。

日曜日、祐一が工場近くの貸し倉庫の値段を調べてきた。安くはなかった。聡子は自分の荷物もあるから折半したいと言ったが、祐一は仕事の経費にできる部分は自分が持つ、と譲らなかった。

金の話を細かくすると、恋愛の気配が薄くなった。それが必要な時間でもあることを、聡子は黙って表計算の画面に数字を入れながら受け入れた。倉庫を借りた分、春に予定していた旅行を一泊短くした。誰のせいで短くなったかを数え始めれば、きっと何でも足りなくなる。

机は聡子が自分で組み立てた。脚を一本逆につけ、やり直した。祐一は入口から見ていたが、頼むまで手を出さなかった。最後に天板を起こす時だけ、彼女は助けを求めた。

「せーのでいい?」

「うん」

二人で立てた机は、畳の上でわずかに傾いた。祐一が薄い木片を差し出し、聡子は片脚の下へ入れた。小さな作業のあと、二人とも少し笑った。

部屋に小さな電気ストーブを置くかどうかでも、二人は迷った。家の暖房をつければ済むのに、と祐一が言い、聡子は扉を閉めたまま本を読みたいと答えた。電気代を別に計算するのは違う気がしたが、どちらかが際限なく気を遣うのも長くは続かない。

結局、家電売り場へ一緒に行き、置き場所に合う大きさのものを買った。買い物のあと、祐一が喫茶店へ寄りたいと言った。聡子は一瞬、また予定が増えたと思い、すぐ、今日は自分も一緒に出かけると決めて来たのだったと思い直した。

彼は運ばれてきたプリンを見て、昔の劇団の打ち上げで彼女が二つ食べた話をした。聡子は覚えていなかった。二十五年の中から、彼が残してくれた自分の姿もある。忘れてしまった人を恋しく思うように、その若い女を少し愛おしく感じた。

最初の水曜日、聡子は朝食のあと客間の扉を閉めた。机には一冊の本と、繕いかけのカーディガンを置いた。ところが何も手につかなかった。廊下を歩く祐一の足音がするたび、自分を呼ぶのではないかと身構えた。

午前十一時、彼が出かける音がした。聡子は窓を開け、遠くの工事の音を聞いた。昼は冷蔵庫の残り物を食べた。二時を過ぎてようやく、読みたい本に手が伸びた。ひとりになるのも、久しぶりだと練習が要るのだった。

夕方、祐一は一人で見た映画の半券を持って帰った。内容を話し始め、途中で、ネタばれするけどいい、と聞いた。聡子は、見に行くつもりがないから聞きたい、と答えた。彼が見てきたものが彼女の知らないまま存在し、その一部を夕飯の席で分けてもらう。それを寂しいより面白いと思えたのは、久しぶりだった。

夜、聡子は机の上の糸を片づけてから寝室へ行った。祐一はもう横になっていたが、眠ってはいなかった。

「入ってもいい?」

冗談めかして聞くと、彼は少しだけ布団を持ち上げた。

「ここは、毎回聞かなくていい」

聡子はその隣へ入った。彼の頬に触れ、唇を重ねた。何かが全部解決したわけではなく、客間の扉を閉めるたびに彼が少し傷つく日もあるだろう。それでも、今日の終わりに戻りたい場所がここだったことは、はっきりしていた。

明かりを消す前、祐一が、来週はどうする、と聞きかけた。そして二人同時に笑った。聡子は彼の手の中へ自分の指を入れた。答えを先延ばしにできる夜は、思っていたより静かで、温かかった。

了Thank you for reading.

もう少し、夜のつづきを。

潮待ちの部屋 →
ABOUT THIS LIBRARY

恋の、その先の余白。

「夜の余白」は、成人同士の恋愛と日々の心の動きを描く、オリジナル短編の書庫です。再会、秘密、別れ、そして新しい一歩。眠る前のひとときに、ひとつの物語を。

全130篇を無料でお読みいただけます。約10分で楽しめる短編を中心に、さまざまな恋の物語を集めました。作品はAIを用いて制作しています。露骨な性描写は含みません。

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運営名:夜の余白
初版:2026年10月21日
更新:2026年10月23日
収録:恋愛短編130篇(うち読了目安10分以上100篇)