四十五歳の千鶴と、同い年の遠山は、同窓会で再会して付き合い始めた。
高校では同じ学年だったが、同じクラスになったことはなかった。千鶴は美術部、遠山は陸上部だった。互いの名前を知っている程度で、廊下ですれ違っても挨拶をしない関係だった。
去年の会で隣の席になったのは、偶然だった。遅れて来た千鶴のために遠山が椅子を引き、二人とも同じ路線を使って帰ることが分かった。電車が遅れて、駅の喫茶店で一時間待った。そのとき、近所の商店街の話をした。
懐かしい話より、今の生活について長く話したことが、千鶴にはよかった。遠山は離婚して五年、千鶴も三年前に結婚生活を終えていた。互いの過去を詳しく確かめるより先に、好きな食べものや、休日に何時まで寝ていられるかを知った。
付き合い始めて九か月後、翌年の同窓会の案内が届いた。
「今年は、一緒に行く?」
遠山が尋ねた。千鶴はその問いをうれしく思い、それから少し考えた。
「別々に行ってみない?」
彼の顔が曇ったので、千鶴は、隠したいわけではないと付け加えた。誰かの隣の人としてではなく、それぞれ旧友と話したかった。
千鶴には、美術部で一緒だった友人が三人いた。会うのは年に一度か二度で、そのうち一人は遠方に住んでいた。去年は遠山と話し込んで、最後の挨拶しかできなかった。
友人たちが後日送ってきた写真には、千鶴の知らない話題で笑っている顔が並んでいた。自分が楽しくなかったわけではない。それでも、年に一度の機会を、自分の恋だけでいっぱいにしたことが少し惜しかった。
遠山にも、陸上部の友人たちがいた。毎年この会のあとに別の店へ移るのだという。去年、千鶴と帰るために断ったことを、彼はしばらく話さなかった。
「そんなこと、気にしなくてよかったのに」
千鶴が言うと、遠山は、自分で帰りたくなったんだよと答えた。それも本当なのだろう。だが、二人が別々に楽しむことを、誰かが我慢する形にしたくなかった。
二人は、会場には別に行き、帰りは駅の外で待ち合わせることにした。どちらかが二次会へ行きたくなったら、その時点で連絡する。最初から同じ電車へ乗ることだけを目的にしない。
決めたのはそれだけだった。決めたあとで千鶴は、少し寂しいと思った。自分が言い出したのに、と笑うと、遠山も似た顔をした。
当日、千鶴は友人の真紀と駅で会った。高校時代は肩まであった髪が、今は耳の下で切りそろえられていた。真紀は千鶴の靴を見て、昔から歩きやすさ優先だねと笑った。
千鶴は、そんな自分だったかと思った。遠山と会うときには、少し無理をして細い靴を履くこともある。友人の記憶の中には、今とは違う自分が残っていた。
会場へ入ると、遠山はすでにいた。入口近くで、数人の男性に囲まれていた。
「トオル、こっち!」
一人が呼んだ。千鶴はそのあだ名を知らなかった。遠山の下の名前とは違う。聞けば何か理由があるのだろう。その呼び方に、長い時間を一緒に過ごした人たちの近さが見えた。
遠山は千鶴に気づいて、小さく手を上げた。千鶴も手を上げた。それだけで別のテーブルへ向かった。
真紀が、挨拶しなくていいのかと尋ねた。千鶴は、あとで話すからと答えた。恋人のところへ一直線に歩かない自分を、少しだけ頼もしく思った。
乾杯のあと、千鶴は美術部の友人たちと話した。今も絵を描いている人は一人だけだった。千鶴自身、仕事で紙や色に触れることはあっても、絵筆を持たなくなって久しかった。
真紀が、文化祭の看板の写真を持ってきていた。千鶴はその看板に、自分が描いたはずのない花を見つけた。友人たちによると、締め切り前日に遠山たち陸上部が手伝ったらしい。
知らなかった、と千鶴が言うと、真紀は、あの日あなた熱を出して休んだからと答えた。自分がいなくても学校は動き、知らない人が続きを仕上げていた。
千鶴は遠くの遠山を見た。彼は大きな身振りを交え、普段より高い声で笑っていた。二人で食事をするときの、ゆっくりした話し方とは違う。友人の一人に肩を押され、椅子から落ちそうになっていた。
楽しそうだと思った。同時に、少しだけ寂しかった。
自分の知っている彼が全部ではないことは、頭では分かっていた。だが、自分の知らない青春が彼の周囲に集まるのを、目の前で見るのは初めてだった。
「気になるなら、行ってくれば」
真紀が言った。千鶴は首を振った。ここにいたいのも本当だった。
料理を取りに立ったとき、千鶴は昔の同級生に声をかけられた。名前を思い出せずにいると、相手は笑って、体育のバレーでいつも同じ組だったと教えてくれた。
その人は、千鶴が毎回サーブを怖がりながら、最後には手を上げていたことを覚えていた。千鶴には、失敗して笑われた記憶しかなかった。
「やるって言うの、えらかったよね」
言われて、千鶴はどう返せばいいか分からなかった。自分が覚えている若い自分と、人が覚えている自分は、同じではない。
テーブルに戻り、真紀にその話をした。真紀は、千鶴は怖くても始める人だったと答えた。離婚のことを詳しく知らない友人が、今も自分をそう見ていた。
千鶴は、自分の近況を少し話した。離婚してから暮らしが変わったこと、今は遠山と付き合っていること。友人たちは驚き、いくつか質問したが、すぐにほかの話も続いた。
千鶴の人生に新しい恋があることは、うれしいニュースだった。だが、その話だけで千鶴の席が埋まるわけではなかった。真紀の家の修繕や、別の友人の母親のことも、同じテーブルで話された。
遠山が近くを通ったのは、会が半分ほど過ぎたころだった。千鶴は彼に声をかけ、文化祭の看板を手伝ったのかと尋ねた。
「あれ、まだ覚えてる人いた?」
遠山は笑った。友人たちへ、あの花は自分が描いたが、先生にやり直せと言われたのだと説明した。千鶴が見た写真は、そのやり直す前だったらしい。
「だから妙に大きかったんだ」
真紀が言い、皆で笑った。遠山も笑った。千鶴は、彼がこのテーブルでも無理をしていないことに安心した。
少し話してから、彼は友人に呼ばれて戻っていった。千鶴は引き留めなかった。帰りの約束があることを、心の中で確かめた。
だが、会の終わりが近づくと、彼から連絡が来た。二次会へ少しだけ顔を出すか迷っているという。千鶴にも、友人から別の店へ誘いが来ていた。
千鶴は、自分も少し行きたいと返信した。待ち合わせを一時間遅らせることにした。どちらかが帰りたいのを我慢して付き合うのではなく、二人ともそれぞれの続きへ行った。
二次会は、真紀が学生時代によく来たという喫茶店だった。店名は変わり、内装も違っていたが、窓から見える坂道は同じだった。
友人の一人が、次は同窓会の前ではなく、普通の休日に会おうと言った。千鶴も賛成した。恋人との予定を決めたあと、空いた日だけを友人へ渡していたことに気づいたからだった。
遠山から、店を出たと連絡が来た。千鶴は駅の外で待っていてほしいと返し、友人たちに先に帰ると告げた。誰かが寂しそうな顔をするのではと身構えたが、皆はまた連絡すると手を振った。
自分が選んで帰ることと、恋人がいるから帰らされることは違う。千鶴は階段を下りながら、今の自分は前者なのだと思った。
遠山は駅前の時計の下にいた。上着を腕に掛け、少し疲れた顔をしていた。千鶴を見つけると、いつもの静かな笑い方になった。
「今日、知らない顔だった」
千鶴が言うと、遠山は、そっちもと答えた。
二人は改札へすぐには入らず、広場の端のベンチに座った。昔の同級生たちが通り過ぎ、何人かが二人を見つけて挨拶した。隣にいることを説明する必要がなくなっていた。
遠山は、千鶴が友人たちと笑うのを見て、少し寂しかったと話した。普段よりよく手を動かし、相手の話を途中で遮って笑っていたという。
「僕には、あんまりしないから」
「あなたの話は、最後まで聞きたいの」
千鶴が答えると、彼はうれしそうにし、それから、友達には最後まで聞かなくていいのかと笑った。
二人は互いの知らない話をした。学生時代に好きだった人も、失敗した部活の試合も。千鶴は遠山が短距離の選手だと思っていたが、彼は長距離を走っていた。あだ名のトオルは、友人の言い間違いがきっかけで、本当の名前とは関係がなかった。
千鶴が美術部でいつも絵を描いていたわけではなく、友人の恋愛相談を聞いている時間のほうが長かったことも、彼は初めて知った。
今まで尋ねなかったことが、まだたくさんあった。昔のことをすべて知れば安心できるわけではない。知らないことがあるから、次に聞きたい話が残る。
遠山は、帰り道で一度だけ寄り道を提案した。駅の売店で水を買いたいという。千鶴も一緒に入り、棚の端に昔からある菓子を見つけた。
「これ、美術室でよく食べた」
彼女が言うと、遠山は、自分たちは大会の帰りに食べていたと答えた。同じ町の同じ店で、別々の思い出が重なっていた。
二人は一袋だけ買い、まだ開けずに千鶴の鞄へ入れた。明日、一緒にお茶を飲むときに食べることにした。今日、昔の話をたくさんしたあとでも、明日の小さな予定は作れた。
千鶴は友人たちとの写真を携帯で確認した。遠山は自分も見たいと言った。彼女は画面を向け、写っている一人ずつの名前と、今の暮らしを説明した。彼も途中で知っている話を足した。知り合いの輪を一つにする必要はなくても、その話を持ち帰ることはできた。
電車が来た。座席が一つだけ空いていて、千鶴が座った。遠山は前に立った。窓に二人が映った。若いころの写真とは、どちらも違う顔だった。
千鶴はその顔を見ながら、来年も別々に行こうと言った。遠山はうなずいた。
「帰りはまた、ここで待ち合わせよう」
彼はそう答えた。千鶴は、来年は二次会の時間も最初から相談しようと笑った。彼女の膝の上には友人にもらった写真があり、目の前には、今日少し新しく知った恋人が立っていた。