河川工事で、桜並木がなくなっていた。四十四歳の朋子は、約束した場所で立ち尽くした。
橋と古い階段は残っている。川の流れる向きも変わらない。それなのに、目印にしていた木がないだけで、どこで待てばよいか分からなくなった。土手の新しい柵に、工事の予定を知らせる紙が結ばれていた。
五年ぶりに会う元同僚の亮一は、橋の向こうから来た。五十歳になっていた。朋子が思い出していたコートではなく、薄い灰色の上着を着ていた。
「景色、変わったね」
朋子はうなずいた。自分たちのことを言われたような気がしたが、彼は本当に川を見ていた。
亮一が離婚したことも、自分が故郷へ戻ったことも、メールでは伝え合っていた。だが、同じ文面を何度読み返しても、その間の生活までは見えなかった。
昔、彼が結婚していたころ、二人は一度だけ気持ちを口にした。
仕事の帰り、遅くまで開いている店で食事をした夜だった。朋子が転職を決め、もう同じ職場ではなくなると分かっていた。彼は、もっと早く出会っていればと言った。朋子は、その言葉がうれしくて、同じくらい嫌だった。
早ければよかったという時間は、今の二人にはなかった。彼が家庭へ帰り、自分が一人で電車に乗る事実は変わらない。朋子はもう二人では会わないと伝え、亮一も受け入れた。
何も始めずに離れた。正しかったと思う日と、違う人生を想像する日があった。どちらか一方だけが本当だと決めることはできなかった。
そのあと、年賀の挨拶が二度届き、一度途切れた。朋子も毎年返すわけではなかった。仕事を変え、親の暮らしを手伝うために故郷へ戻った。忙しかったと書けば一行で済む五年間に、いくつもの季節が入っていた。
今日は、どちらも一人だった。それで全部うまくいくほど、五年は短くなかった。
会う約束をしたのは朋子からだった。故郷へ戻って半年たち、仕事で以前の町へ行く用事ができた。メールを書き、送信前に何度か消した。
離婚したと知ったから誘ったと思われるだろう。それは完全な間違いではなかった。ただ、それだけではなかった。過去に好きだった人へ、今の自分がどんなふうに話すのか知りたかった。
亮一からは、会いたいと返事が来た。店を決める前に、昔の橋の近くで待ち合わせることになった。桜が咲くころだったので、朋子は写真を一枚撮ろうと思っていた。
ところが木はなかった。亮一は、工事が始まったのは冬だったと説明した。朋子が来ると知ってから現地を確かめなかったことを、少し気にしているようだった。
「ほかへ行こう」
彼が言った。
朋子は、ここで少し見てからでいいと答えた。懐かしい景色がなかったからといって、今日の始まりまで失敗にする必要はなかった。
川の向こうで、小さな犬が散歩していた。以前より歩道が広くなっている。桜を惜しむ気持ちと、変わった道を使う人がいることは、同時にあった。
歩き出すと、彼は知らない道を選んだ。
「前の店は、もうなくて。こっちに新しいのが」
朋子はついていった。昔、打ち合わせの前に二人で寄った店には、今は別の看板が掛かっているという。今日その前を通らないことが、少しありがたかった。
新しいカフェで、亮一は紅茶を頼んだ。昔はコーヒーばかりだった。
「胃が、弱くなった」
彼が笑った。朋子も、朝早く目が覚めるようになった話をした。互いの変化を立派な成長として説明しなくてよかった。眠れない日があり、食べられなくなったものがある。その程度のことから、五年は少しずつ分かった。
亮一は前の会社を辞め、規模の小さなところで働いていた。役職はなくなったが、帰宅する時刻が早くなったという。朋子は故郷で、地元の施設の広報を手伝っていると話した。
「戻って、よかった?」
亮一が尋ねた。朋子はすぐには答えなかった。
よかったこともある。帰らなければよかったと思う夜もある。母親は助かったと言うが、朋子が何を諦めたかまでは知らない。そのことを責めたくはないけれど、全部自分で選んだのだと胸を張れない日もあった。
「両方ある」
朋子が答えると、亮一はうなずいた。分かる、と急いで言わなかったことが、今はうれしかった。
料理が来るまで、二人は共通の知人の近況を話した。会社に残っている人、独立した人、名前は覚えているのに顔がすぐには出てこない人。朋子が知らない出来事を、亮一が説明した。逆に、転職してからも朋子だけが連絡を取っている人もいた。
共有していると思っていた過去にも、知らない部分があった。そのことが、朋子には少し気楽だった。二人だけが分かり合っていた特別な時間として、昔の職場を閉じ込めなくてよかった。
亮一が、あのころの自分は忙しいことを大事な仕事をしている証拠にしていた気がする、と言った。朋子も、人に頼まれると断れないことを責任感だと思っていたと話した。笑い話にできることばかりではないが、少し距離を置いて見ることはできた。
料理が運ばれてきて、二人は会話を止めた。朋子が苦手な香草を端へ寄せると、亮一は今も苦手なんだねと言った。変わったことだけを探していたわけではない。変わらないところも、目の前で確かめ直せばよかった。
離婚の話は、二杯目の飲み物を頼んだあとで出た。朋子が理由を尋ねたわけではない。亮一が、今は一人で暮らしていると言い、自分から少し話した。
前の相手を悪く言う内容ではなかった。長く一緒にいるうちに話さなくなったことが増え、話さなければ分からないことまで、分かっているはずだと思ったという。
朋子は、自分の存在が関係していたのか聞きたくなった。聞けば、あの五年を何かの物語にまとめられる気がした。だが、亮一の離婚は朋子のために起きた出来事ではない。
「私に説明しなきゃと思わなくていいよ」
そう伝えると、亮一はカップを置いた。
「でも、昔のことは謝りたかった」
もっと早く出会っていればと言ったことを、彼は覚えていた。責任を取らないまま、よい言葉だけを渡したのだと思う、と話した。
朋子は黙って聞いた。その言葉を何年も待っていたわけではなかった。それでも、あの夜に自分が困ったことを、彼が別の場所で考えた時間があったのは分かった。
「うれしかったんだよ、あのとき」
朋子は言った。
「うれしかったから、会わないって決めるのがつらかった」
亮一はうなずいた。朋子も、自分が正しい判断をした人としてだけ覚えてもらいたいわけではないと気づいた。迷って、泣いて、それでも帰った人だった。
食事のあと、二人は町を歩いた。桜のある公園へ行こうかと亮一が提案したが、朋子は川とは反対の商店街を選んだ。今日は桜を見なければならない日ではなかった。
書店の前で朋子が立ち止まると、亮一も足を止めた。彼女が見ていたのは、故郷で仕事を一緒にしている人の本だった。店先へ出た表紙を、思いがけず見つけたことがとてもうれしかった。自分が関わった部分を説明すると、亮一は表紙を見て、ここを作ったのかと聞いた。
昔なら、彼の仕事を朋子が手伝うことが多かった。今は彼が知らない仕事をしている。説明しながら、朋子は自分の五年間が待っていただけの時間ではなかったことを、実感した。
亮一は本を買った。応援のためではなく、読んでみたいからと付け加えた。朋子は、それなら読んだ感想を教えてと答えた。昔の感謝とは別のやり取りが、一つできた。
店を出ると、小さな雨が降り始めていた。亮一は傘を持っていたが、朋子は持っていなかった。二人は店の軒先でしばらく待った。
同じ傘へ入ることもできた。だが朋子は、今すぐ親しさを確かめる動きを選びたくなかった。亮一も急かさず、雨はすぐ止みそうだと空を見た。
雨を待つ間、亮一が、今度こちらへ来る予定はあるかと尋ねた。朋子は仕事では秋だと答えた。
秋までは長いね、と彼は言った。朋子もそう思った。だからといって来週会う約束をすれば、何かが取り戻せるわけではない。
「夏に、そっちへ行ってもいい?」
亮一はそう聞いた。朋子の故郷を、彼はまだ知らなかった。
朋子はすぐにうなずきかけ、母親と同じ家に住んでいることを改めて話した。休日ならいつでも空いているわけではない。急に家族へ紹介するつもりもない。それを断り文句と受け取られないか、少し気になった。
亮一は、会える日を相談しようと答えた。彼も仕事の都合があるから、二つほど候補を出すという。以前のように、限られた隙間へ朋子が合わせる話ではなかった。
朋子は、町には大きな美術館も有名な店もないと笑った。亮一は、普段どんなところを歩くのか知りたいと答えた。その言葉が本当かどうかは、これから何度か会う中で分かるだろう。
雨が止み、二人は軒先を離れた。濡れた舗道に光が映っていた。朋子は携帯電話を出しかけ、今は撮らなくていいと思った。覚えておくために、何でも画像へ変える必要はなかった。
帰るころ、桜の写真を撮るつもりだった携帯電話は、道を調べる以外には使っていなかった。亮一は駅まで送り、改札の少し手前で立ち止まった。
以前別れた日には、もう会わないと決めていた。今日は次に会う季節の話をしている。その違いを、大きな約束へ急いで変えたくなかった。
「今日は、会えてよかった」
朋子が言うと、亮一も同じ言葉を返した。好きだという言葉は、まだなかった。なくても、今日が足りなかったとは思わなかった。
電車に乗り、朋子は母親へ帰る時刻を送った。それから亮一に、買った本が重くなかったかと聞いた。彼から、大丈夫、帰ったら読むと返事が来た。
窓の外では、違う町の桜が咲いていた。朋子はそれを眺め、写真を撮らなかった。なくなった桜も、今見えている桜も、今日の二人を代わりに説明してくれるものではない。
次は違う季節に会おうと決めた。同じ春に戻るのではなく、今の二人に似合う景色を、これから探したかった。朋子は手帳を開き、まだ何も書いていない夏の頁を、少し長く眺めた。